三国の残照  【三国志演義】

U.それからの蜀

1.臥龍天に帰り、蒋費蜀漢を後継す

 孔明という大黒柱を失うとすぐに滅亡、というイメージが強いものの、実は孔明の死後も、蜀は約30年近く存続しています。
 孔明が自分の死後の一番目の後継者として指名したのは蒋琬(ショウエン)でした。彼は孔明の死にも動じること無く、その職責を全うして国を治めることに成功しましたが、残念ながら急逝してしまいました。
 その後を継いだのは、孔明が二番目にして最後に指名した費禕(ヒイ)。彼もまた前任者に匹敵する政治手腕を発揮し、軍事面でも自ら戦争を仕掛けるようなことはせず、むしろ戦争を仕掛けようとする武闘派を抑えていました。

 蜀が孔明の死後も命脈を保った理由の一つに、戦争で疲弊した国力の回復を前提として、専守防衛に努めていたことが挙げられます。蒋琬と費禕の功績により蜀の安定は保たれ、一応の平安が訪れていました。

2.姜維北伐を断行し、中央の腐敗進む

 ところがその名宰相・費禕が魏の降将に暗殺されてしまうと、蜀の未来にも暗雲が漂い始めます。その後に軍権を握ったのは、生前より孔明の薫陶よろしきを得ていた愛弟子・姜維(キョウイ)でした。
 姜維は亡き孔明の悲願だった北伐を成功させるべく、精力的にほぼ連年出兵を続けるようになります。しかし大きな戦果を挙げることは出来ず、失敗が続きました。
 そして彼が軍事面に没頭して国政を省みなかったため、中央では奸臣・侫臣が横行し、後主・劉禅をいいように操り始めます。

 こうして一時の平穏を保っていた蜀も、内外から徐々に疲弊し始め、いよいよ運命の時を迎えます。