スーパーストライカーへの道  【キャプテン翼 ワールドユース編】

V.ワールドユースへの挑戦

1.アジア予選

 18歳以下に参加資格が与えられる正式名「FIFAワールドユース選手権」。現在で言う「FIFA U-20ワールドカップ」に相当します。日本代表のユニフォームはのイメージが強いですが、本作では赤いユニフォームを着ています。これは1988年から91年頃まで現実の日本代表も赤を採用していたことによるものです(本作の発売は1990年)。
 翼達全日本は、ブラジルで開催される本大会への出場権を得るためにアジア予選を突破すべく、開催地の韓国・ソウルへと向かいました。
 全日本は、シリア、中国、イラン、北朝鮮、サウジアラビアといった東アジアや中東の曲者を退け、最終戦でもアジアの宿敵・地元の韓国を倒し、見事本大会への出場権を手にしました。

 一方その頃、世界各地でもアルゼンチンフランス西ドイツ(※)が続々と本大会への出場を決めていました。そして開催地枠で既に出場権を得ているブラジルユースの監督にロベルト本郷が就任し、翼に衝撃を与えます。
※東西ドイツが統合したのは1990年10月であり、ゲーム発売から3ヵ月後。

2.本大会・予選リーグ

 開催地ブラジルへ飛んだ全日本。予選リーグの同じ組にはポーランド、イングランド、ソビエト(※)、そしてフランスが入りました。この内、上位2チームが決勝トーナメントへ進むことができます。
 ポーランド、イングランド、ソビエトを倒した全日本は、最後にフランスとの対戦を迎えます。「Jr.ユース大会」以来の雪辱に燃えるピエールナポレオン。新技「スライダーキャノン」で全日本に襲い掛かります。
 このフランスを辛くも退けた全日本は、グループ1位での予選リーグ通過を果たしました。

 予選リーグでの戦いの最中、今や敵チームの監督となったロベルトより「スーパーストライカーを目指せ」とのメッセージを受け取った翼。そのためにも新しい必殺シュートの開発に着手します。
※ソビエト連邦が崩壊したのは1991年12月であり、ゲーム発売から1年5ヵ月後。

3.本大会・決勝トーナメント

 トーナメント1回戦メキシコ、2回戦「黄金の右腕」ジノイタリア、3回戦はシュナイダーに匹敵する才能を持つイスラスオランダと、順調に撃破します。
 一方で、翼は伝説のストライカー・ジャイロの幻のシュート「サイクロン」を自己流のアレンジで習得することに成功しました。

 準々決勝は天才ディアス率いるアルゼンチン。パスカルやガルバンといった3年前のメンバーや、サンパウロFCのチームメイト・バビントンも所属しています。
 そして準決勝は「皇帝」シュナイダーやカルツ、ミューラーの所属する西ドイツ。若林のハンブルガーSVでのチームメイトの他、シェスターやマーガスも健在で、大会屈指の攻撃力を誇ります。
 これらJr.ユース大会からの因縁の強豪を倒した全日本は、遂に決勝へ進出。同じく決勝の舞台へ上がるのは、準決勝であのフランスを圧倒し、Jr.ユース大会では未出場だったまだ見ぬ最強の「サッカー王国」ブラジルです。

4.スーパーストライカー

 翼との約束通りワールドユースの決勝の地「マラカナン・スタジアム」での再会を果たしたカルロス。そのメンバーは翼のサンパウロFCでのチームメイトの他、リオカップで苦戦した強者達がズラリと顔を並べ、さらにGKゲルティスはロベルトが直々に呼び寄せたセリエA・インテルに所属するプロ選手という、一切のスキの無いまさに最強の布陣です。
  そして後半開始と同時に、ロベルトが翼以上と評価する真のスーパーストライカー「アルツール・アンチネス・コインブラ」が、栄光の10番を背負ってピッチに立ちます。
 そのスピード、そのテクニック、全てが桁違いのコインブラ。さらには視界から消え去る究極の必殺シュート「マッハシュート」で全日本の守備を切り裂きます。
 翼は自分以上の化け物と死闘を演じ、最終的にはチームワークと切り札「サイクロン」で勝負を決めて最強ブラジルを降し、全日本はJr.ユースに続く栄冠を勝ち取りました。

  敗れたカルロスは、新たに加わったコインブラとともに打倒全日本を目指して動き始めます。こうして彼らの1つの戦いは終わりましたが、それはまた次なる戦いへと続いて行くのです。